スペイン 巡礼の道を歩く 1
(サン・ジャン・ピエド・ポル~ナバレーテ編)


 イベリア半島上部を東西に全長800キロにもおよぶスペイン巡礼の道。
この旅には出発地フランスのサン・ジャン・ピエド・ポルから目的地のサンティアゴ・デ・コンポステーラまで
毎日ひたすら歩いたとしても平均して30日から40日間もの日数を要する。
ただ黙々と歩くことに興味のない人には「ふ~ん」と言って、それまでのことだが、
なんらかの理由で、いざ本当に歩こうと決心した人ならば
やはり一番の問題はこの旅に費やせる長い日数をどう捻出するかだろう。
旅とは、時間があるときにはお金がなくて、お金があるときには時間がないといった事情で
なかなか実行に移すことが難しいものである。
また、800キロの道のりといっても、車で時速100キロで走れば1日で辿りつけるものを、
何も車のなかった時代の巡礼者のまねをして1ヶ月以上もかけて旅をすることが現代にとって
どれほどの意味があるのだろう?と、思うのはこのような旅にまったく興味のない人だけにではなく
旅に出て歩いている当人すら、時々思うものだ。
いや、歩く旅人の方が重たいバックパックを背負い、足には靴擦れのためにできた水ぶくれに何度、
針を刺したか、恨めしい冷たい雨・・・・、
なんでおれは(わたしは)、こんなことをやっているんだろう?
毎日、歩きながら自問自答することは間違いない。

これから、分割巡礼の旅を綴っていきます。(旅の期間は2016.10/27~11/9の2週間)


1日目 マドリードへ

 成田空港からアエロフロート機に乗り、12:15離陸。
その後、モスクワでトランジットし、スペインのマドリードが飛行機での目的地になる。
巡礼の道の出発地点、サン・ジャン・ピエド・ポルは、さらにマドリードから電車に乗ってイベリア半島を
300キロほど北上し、パンプローナへ。
そして、パンプローナからタクシーを使って60キロ。

 スペインと日本の時差は8時間あり、日本が8時間進んでいることになる。
長い移動時間ではあるが、この時差の関係でマドリードのバラハス空港に到着したのは、
出発日の日付が変わらないギリギリ22:20となった。
ちょうど、その2時間後にパンプローナへの深夜バスがあり、これに乗りたかったのだが、
すでに席は予約で埋まっており、翌朝の電車が最も早いパンプローナへの移動手段となった。
この時間でホテルを探す方が面倒なので、空港内で野宿(?)することにした。
空港内は近代的でとても広く、暖かい。
ぼくのように朝まで身動きがとれなくなったのだろう。
24時間営業のマクドナルドや、通路の端で寝ていたりしたりする
仲間たちが少なからずいたので、一夜ここで過ごすといってもそれほど悲壮感はない。

     
今夜の宿はバラハス空港    ベットはバックパック 


2日目 フランスへ


 空港で過ごした一夜は横にはなることはできたが、眠りは浅くあまり寝た気がしない。
4時を過ぎたあたりから、始発便の準備で、
職員が搭乗ゲートのあたりをちらほら行き来しはじめる。
こうして空港の一日がまた始まるのだろう。
今日の目的地は巡礼の道の出発点となるフランスのサン・ジャン・ピエド・ポル。
空港から地下鉄に乗り、マドリッド市内のアト―チャ駅へ行きそこから
中継地点のパンプローナまで高速鉄道を利用する。
アト―チャ駅から7:35、列車に乗るがスペインの夜明けは遅い、この時間でも夜の闇は深く
8:00を過ぎてやっと少しづつ空が、白んできた。
赤ワインの小瓶を1本買い込み、プラスチック製のコップでちびちびやっていると
太陽がスペインの台地を照らし始め、広大な牧草地、そして
その向こうには風力発電の風車がゆっくりプロペラを回しているのが見えてきた。
ぼくのいくつかあるスペインの原風景のひとつだ。

 10:35にパンプローナに到着。それほど大きな駅ではない。
改札を抜けると、すぐ外のバス停やタクシー乗り場が見える。
旅に出る前にパンプローナからサン・ジャン・ピエド・ポルまでの交通手段を調べてみたが
列車はないので、バスかタクシーになる。
バスは本数が少ないし、乗り継ぎも必要になるので、ここはちょっと高くつくが、
タクシーで一気に行ってしまおうと考えていた。
タクシー運転手に料金を聞いたら、100ユーロきっかり。
(この旅行時のレートはだいたい1ユーロ118円くらい)
この旅で1番の出費となったが、仕方ない。
サン・ジャン・ピエド・ポルまでは曲がりくねった山道をタクシーで1時間半くらいかかった。
パンプローナはサン・ジャン・ピエド・ポルをスタート地点とする巡礼の道の大きな宿場街の
1つなので巡礼者のほとんどここで1泊するようだ。
ぼくもその予定だから、つまり100ユーロかけて国境越えてフランスのサン・ジャン・ピエド・ポルに
行っても結局ここに再び通過地点として歩いて戻ってくるのだ。
パンプローナから巡礼を始める人もいるようだし、なんだか効率の悪い行程のようだけど、
ぼくはどうしてもサン・ジャン・ピエド・ポルからスタートしたかった。
それは、噂にきく過酷なピレネー山脈越えに、あえてチャレンジするにはサン・ジャン・ピエド・ポルから
出発するしかないないから。

 
サン・ジャン・ピエド・ポル

12:30、サン・ジャン・ピエド・ポルに到着し、レストランで肉料理を食べ、
インフォメーションに行き、クレデンシャル(巡礼手帳)を3ユーロで購入。
さらに巡礼者用の事務所に立ち寄って、クレデンシャルにスタンプを押してもらう。
事務所のおばさんがピレネー山脈越えの危険個所や注意事項をけっこう丁寧に話してくれ、
近所の空きのあるアルベルゲ(巡礼者用宿泊施設)も紹介してくれた。

 
 クレデンシャル
 
クレデンシャルにスタンプを押しながら旅する 

 アルベルゲは巡礼の道に公営、私営なものを含め多数存在し、
そのシステム(食事あり・なし、トレッキングシューズを玄関で履き替える・履き替えない、
バックパックをどこに置くか、朝起こしてくれる・起こさないなど)は
もうその1軒、1軒で異なる。
しかし、その料金は10ユーロ前後と格安で、中には5、6ユーロほどで泊まれるところもけっこうある。
記念すべき第1泊目のアルベルゲは夕朝食付きで15ユーロ。
ベットのある部屋は2階だが、トレッキングシューズは1階の玄関脇でサンダルなどに履き替え、
バックパックも同様、1階に置かなくてはならない。
普通のホテルではありえないことが、アルベルゲでは普通だったりする。
初めて、アルベルゲのベットのある寝室に案内されて感じたこと。
「うっ・・・、おれ、やっていけるかな?」
 もちろん、今まで多くの巡礼関連の書籍や雑誌やネットなどで、アルベルゲ内の写真は見てきて
驚かないつもりでいたが、実際、現物を目の当たりにすると、それは想像を超える。
男女共用で、無骨なパイプ製の2段ベットのいくつかと、
いささか殺風景すぎるレイアウトの部屋だが不潔とか、とくに何か問題があるわけではない。
そのもやもやとした心象は、かつて経験し、すでに忘れてしまった、
”他人との共同生活”という記憶かもしれない。
こどもの頃、親戚の家にいったり、修学旅行の時に畳の1つの部屋で大勢で寝たこと。
田舎から上京して、寮生活していた頃・・・。

 そんな経験からはずいぶん遠ざかっていた。
今回の巡礼の旅のために確保したすべての日数は14日間。(日本、スペイン間の往復も含める)
歩けたのは日本、スペイン間の往復移動時間を除く、連続した中9日間となった。
したがって、アルベルゲには8泊したことになる。
さて、そんなアルベルゲ泊の不安でしたが、それも実は初日くらいのもので
自分でも意外に思ったのですが、2日目くらいには平気になっていた。
普段、他人と同じ部屋で寝ることはなくなっていたので、新鮮です。
自分と他者の距離感(心的、物理的)は、ある一定時間、
一定空間を共有していると、より鋭敏になる。
とくに、アルベルゲのような異なる国籍の人々が集まる場では・・・。
自分の心をできるだけオープンに、かつフラットにして
話すと決めた時はじっくりと、ほっとく時はほっとくのがよい。

 
アルベルゲのシンプルな2段ベット 

 アルベルゲ初日の夜はこのアルベルゲを運営しているダニエルおばさんの手作り料理が
テーブル狭しと並んだ。スープやパスタ。サラダや野菜のオーブン料理と食べきれないくらいでてくる。
食堂の長テーブル、夕食をかこんだのはフランス人、イギリス人、韓国人など10人。
ここはフランス、ちょっとお上品な雰囲気。
明日はいよいよ、ピレネー山脈にアタックだ。ピレネーを越えてしまえばそこはもうスペイン。
スペイン人比率も増えてきて楽しい旅が期待できる。


3日目 ピレネーアタック


 アルベルゲの寝室では1人に1つのベットこそあれ、基本、多くの他人が寝ている。
みんな起きる時間がまちまちだから、ベットから起きだすタイミングが難しい。
アルベルゲのスタッフなどが、部屋の電灯をつけて起こしてくれる場合は問題はないが、
そうではない時(こちらの場合の方が多い)は、寝ている人に気を使って、
電灯のスイッチを押しにくいものだ。
朝7時でもまだ外は真っ暗なので出発のために荷造りするのに、暗闇の中、手探りでゴソゴソやるはめになる。
 朝食にパン、ヨーグルト、コーヒーをいただき、いよいよ巡礼の道への第一歩を今日は踏み出す。
ダニエルおばさんにお礼を言って、外へ出ると思った以上に寒い。
サン・ジャン・ピエド・ポルの教会の時計を見上げると針は、7:30を指していた。
吐く息は白い、ピレネー山脈にむかって歩きだす。

     
サン・ジャンのアルベルゲのおばさん
ダニエルさんと 
   いよいよ巡礼のスタート 7:30まだ暗闇


 サン・ジャン・ピエド・ポルを出発してからはしばらくアスファルトの道が続き、
やがて本格的な山道となるが最初からその傾斜はゆるやかとは、言い難い。
背中のバックパックは15キロほどあり、山道が続けば、
じわじわと両の肩に食い込むような負担となり体力を奪うに違いない。
今日の目的地はピレネー山脈を一気に越え、27キロ先にあるロンセスバジェス。
8割が急な登り坂の連続という今回で最も過酷な1日となった・・・。
下の表はサン・ジャン・ピエド・ポルの巡礼事務所でもらった各宿泊地間の道の高低を表している。
表は裏面にも続いていて、巡礼者はゴールのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで
1から33までの行程をこなすことになる。
表を見て、一目瞭然!
第1行程である今日の勾配は尋常ではない。

     
各宿泊地間の高低差表   初日がもっともつらい 


 暗闇の中を歩きだして1時間ほどすると、ようやくあたりの風景が明るくなってきた。
山を登りはじめ、サン・ジャン・ピエド・ポルの街を見下ろせるほどの場所にくると
ちょうど赤い太陽の光が何百年も変わらぬようなフランスの田園風景を照らし、
遠くに朧な雲海が広がっている。
朝・夕はとても冷え込むこの時期。
ピレネーの秋の深さはどれくらいだろう?
木々は紅葉し始めているものもあれば、たわわに赤い小さな実をつけているものもある。
足元にはちょこんと健気に咲くサフランに似た小さな紫の花、季節の移り変わりのとてもいいタイミングに旅をしたと感じた。

     

 「ピレネーの先はアフリカ」というスペインを揶揄する物言いは知っていた。
それはヨーロッパの西の果てで、他のヨーロッパ諸国からしてみれば
スペインが一段、下に見られていたことも意味していたのだろう。
確かに地図上ではヨーロッパの果てに違いない。
しかし、今回実際に自分の足でピレネー山脈を越えてみて
その言葉の真意が、肌感覚としてわかった。
経験に勝る知識はないというか。

ピレネー越えはきつかった・・・。

この一言につきる。やはりヨーロッパを分断する大きな壁だったのだ。
日が上昇すれば、天候は申し分なく、気温も快適なもので
朝はダウンジャケットを着ていたのに、薄手のTシャツ1枚で十分。
ともにピレネーを登る巡礼者は少なくはなく、みなそれぞれのペースで
同じ道を同じ方向へ歩いていた。
休憩している人を追い越す時は、お互い「ブエン・カミ―ノ!」と声を掛け合う。
よき巡礼の道を!といった意味だ。
ピレネーの峰々は遠くまで連なっていて、その雄大な景観に清々しい気分になる。
砂利道、ちょっとした岩場、真っすぐの道、曲がりくねった道に一歩一歩、足を前に出すが
下りやフラットな道はほとんどなく、ひたすら登り坂だ。
一つの峰を越えたら、少しは下りがやってくるだろうと期待をしても、
登り切って視界の開けた所に出てみると、また新たな上りの稜線へと繋がる、という繰り返し。
美しく、変化に富んだ大自然に心奪われながら歩くが、これが27キロも続くのかと思うと気が遠くなる。
この27キロにはもちろん、コンビニも自動販売機もあるわけはなく、
給水所は2箇所しかない。
給水所までもてばよいと考え、500ミリリットルの水のペットボトルを2本を準備していったが
どうもこれでは、足りないうえに、1か所目の給水所を見逃してしまったようだ。
しかも、ピレネーには一本の小川も流れていない(少なくとも登山道では見なかった)ので
水を切らしてしまうと、命取りになりかねない。

     


 登り始めの頃は、まだ余裕もあってピレネーに来てよかった!とはしゃいだ気持ちで
写真をパチパチ撮っていたいたものの、雲ひとつない青空から降り注いでくる太陽の光が
ますます力強くなってくると、際限ない急勾配の連続を恨みつつ、やがて案の定、足取りも重くなっていく。
水も底をついた。給水所も見当たらない。
道端に腰をおろして途方に暮れていると、どちらともなく
近くにいたイギリスのリバプール出身という三十代後半の女性と言葉を交わし始めた。
リバプールといえば、思い浮かぶのはビートルズ!
レベッカという名の彼女も音楽好きで、ビートルズやブリティッシュロックの話でしばし盛り上がった。
けっこうな早口で、イギリス特有の発音(todayをトゥダイなどと発音する)を連発するので
聞き取りは難しいが、同じ目的(巡礼)を持ったもの同士が音楽について語り合うのに
語学力の不足はそれほどハンデにならない(と、思う・・・)。

ー水がもうないんだ。給水所はまだ遠いかな?
なんて何気なく言ったら
自分はまだ余裕があるからと、バックパックの中にあったタンクからぼくに水をわけてくれた。
ーありがとう。少しで大丈夫。きみの分も大切にとっておいて
と、遠慮しても
ーもっとペットボトルに入れなさい
と、さらに水を注いでくれる。彼女は自分より他者を大切にする本当に優しい人だ。

 この9日間という短い巡礼の旅ではいろんな国の人々と友だちになった。
毎日、平均20~30キロ歩くが、天気がよかったり、快適な道ばかりではない。
険しい山道もあれば、足が痛いこともある、震えるような雨にうたれる日もある。
歩く速度にみな、それほど大差があるわけでもなく、またアルベルゲ(宿泊施設)も限られてくるので
顔なじみも増え、一緒に歩いたり、夕食をともにしたりしていると自然に友だちとなる。
ここでは、みな同じ目的で、同じ困難を乗り越えていくことになるので
国籍、年齢、性別、文化の壁はかなり早い段階で消え去ってしまうのだ。
2、3日見かけなかった顔に、またバッタリ他のアルベルゲで再開したものなら、
そのハグはもう数十年来の友のようになる。
レベッカはこの旅でできた友だち第1号で、多くの時間を一緒に過ごしたが、
この後も暖かい家族のようなコミュニティが不思議と、ふくらんでいった。

 
水圧が低すぎる・・・ 


 レベッカに水をめぐんでもらい、復活できて再び歩きだした。
それでも、行けども、行けども給水所はやってこない。
ペットボトルの水を慎重に飲みながら、2時間くらい登ったろうか。
やっと唯一の給水所にたどり着いた。峰の頂で、頭にはさえぎる物は何もなく青空が広がっていた。
そこには、ボタン式の蛇口がついた小さな石の給水所がぽつんと1つあるだけ。
頭に描いていたイメージでは

・・・給水所を見つけ、狂喜乱舞してそれに走り寄る。
蛇口をひねると、冷たい水が勢いよく出てきて、太陽の光をキラキラと乱反射している。
まずはそれを砂漠のような喉にガブガブと注ぎ込み、その後人心地ついたら
やおら豊かな恵みの水に感謝しながら顔を洗う。
そうして、ほてった身体をクールダウンさせると、わさやかな風が通り過ぎていく。
その安堵感たるや・・・

 現実はイメージとだいぶかけ離れてた。水はたしかに冷たかったんですが・・・。
天然の水甕のようなところから引いてきている水道なのだろうか、
とにかく水圧が低い!
なので、けっこうな力でボタンを押し続けていなくては水を出してくれない蛇口なのだが
どうがんばってもチョロチョロと滴るような感じでしかない。
これでは、わずか1本500ミリリットルのペットボトルに水を満たすのにも、5分はかかってしまう。
おかげで、やっとの思いで給水所まで登ってきたものの、水はすぐ飲めない上に
すでに水汲みのために10人くらいの行列ができている。
かつて、フランスのナポレオンも20万もの兵を率いてスペインに侵攻した時に
この険しいピレネーを越えたのだが、水の補給はたいへんだったろうと想像してしまう。


 時間はかかったものの、なんとか水にありつけ、今日のゴールまでに必要な水のストックはできた。
もうゴールまで10キロは切っているが、登り坂はさらにきつくなっていくので小休止の回数も多くなる。
傾斜のせいで、歩数計の示す移動距離がなかなか稼げないのも、もどかしい。
午後4時頃、出発してから8時間以上経過していることになる。
その頃、サン・ジャン・ピエド・ポルの巡礼事務所で見かけた韓国人の2人組の30代前半の男性の1人、
アンさんが登り坂の途中で休憩していた。
彼はかなりの巨漢で金髪なのだが、薄手の赤色ジャンパー、半ズボン、スニーカーといった格好で
正直、事務所で見かけた時、あまりのその軽装に巡礼者なのだろうか?と疑った。
もし巡礼者だったら、巡礼やピレネー山脈をなめてるな・・・という印象。
しかし、バックパックこそそれらしい大きさのものだが、
とにかく近所のピクニックに行くような服装にしか見えない彼も、
サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼者だったのだ。
ちょっと、遠くからみていたら、1人きりで道端に座り込んだまま、なかなか立ち上がろうとしない。
だいぶ、疲れているようだ。間もなく日が暮れてくるので心配だったので声をかけた。
聞けば、水を切らしてしまって歩くのがつらいそうだ。
今度はぼくが人を助ける番だ。
アンさんにぼくのペットボトルの水を飲ませてあげ、今日の目的地であるロンセスバジェスのアルベルゲまで
一緒に歩くことにした。
太陽はかげり、少しずつ気温が下がってくると、ようやく下り坂になり街に出る期待がふくらんでくるが
ここからも、ずいぶんと長く感じた。
アンさんとは、2人で水を分け合いながら、なんとか午後6時過ぎにクタクタでロンセスバジェスにたどり着いた。
あと1時間遅かったら、暗闇の森の中を、さまようはめになっていただろう。
 ここはもう、国境を越えてスペインなのだ。
道ゆくおじさんに、スペイン語でアルベルゲの場所を尋ねたら、親切にその場所まで案内してくれた。
ここは183ものベットがある立派なアルベルゲ。
ピレネーを何とか突破できた達成感と疲労感とともに、併設されたレストランで赤ワインと鶏肉料理の夕食。

     
ロンセスバジェスのアルベルゲ    とてもよくできたベットルーム


4日目 ズビリへ


 今日の目的地はズビリ。距離は21キロ。
昨日の地獄のような、ピレネー越えに比べれれば、高低差だけでもかなり楽になる。
正直、ピレネー越えが初日の体力のある時でよかったと思う。
人によっては数日、旅に身体を慣らしてから、
きついコースに挑む方がよいという人もいるだろう。
ぼくは、つらい事はさっさとすませた方がいいタイプの人間なのだ。
巡礼の道の全行程の約1/4を歩いた今回の旅だが、毎日20~30キロ歩く数日を
過ごして日本に帰ると、今までとは明らかに歩くこと・移動することの感覚に変化がでた。
歩くことはもともと好きだったが、より好きになったし、10キロ以内だったら
どこへだって歩いたり、走ったりして行きたくなった。
今まで遠いと感じていた距離が、遠くではなくなってしまったようだ。

     


 ロンセスバジェスのアルベルゲでは6:15になると電灯がつき、スタッフが声をかけて
巡礼者を起こしてくれる。
朝食は食べずに8:00に出発。歩き始めて2キロほどでブルゲーテの街。

ー道は丘をのぼり、ぼくたちは茂った森にはいり、道はのぼり続けた。
時々、くだりになったが、また、けわしいのぼりになった。
しょっちゅう、森の中に羊の鳴声がきこえた。
とうとう、道は丘の頂上にでた。
ブルゲーテから見えた茂った山脈の一番高い部分の高台の頂上にでたのだ。
木々のあいだをわずかに切り開いた尾根の日のあたるところに野いちごがはえていた。

 これはヘミングウェイが「日はまた昇る」の中で、今日、ぼくが歩いた森を描写したもの。
主人公ジェイクが友人ビルとブルゲーテにマス釣りに行くシーン。
この小説はパンプローナの牛追い祭りの場面が最も有名だが
サン・ジャン・ピエド・ポル、ロンセスバジェス、ブルゲーテなどの街にもふれている。

 
ヘミングウェイもここで釣り糸をたれたのだろう 

 秋の空は高く、臆病で集団行動が見事な羊が草をはむ。
遠くからは音楽のような牛のカウベルが心地よく聞こえてくる。
それはかすかで、そして、とぎれとぎれなので、時々立ち止まって、耳をかたむける。
すると本当に誰かが意志をもって旋律を奏でているように聞こえてくるから不思議だ。
森の中をゆっくり流れる川。
ヘミングウェイもマス釣りに興じたこの川は、その頃とまったく変わらず、
鏡のように空や木々を映しているのだろう。
お腹がすいたら、バルに立ち寄りボカディージョ(サンドイッチ)とコーヒーをとる。
ハムをはさんだだけのボカディージョだが、久しぶりにスペインで食べるハムはやはり美味しい。
 ゆっくり歩いて15:00頃、川沿いの小さな町、ズビリに到着。
ベット数は12のRio Arga Ibaiaという私営のこじんまりしたアルベルゲ。
料金は10ユーロだが、ホテル並みにきれいで快適だ。
昨日と同様、レベッカと同じアルベルゲになった。
腹ペコだったので、一緒に近くのバルに夕食に出かけたが地元の人でいっぱい。
食事にありつけるまで、かなり時間がかかりそうだったのであきらめ、
アルベルゲに戻って、スタッフに何でもいいから作ってとお願いした。
シンプルな大盛りスパゲティミートソースだけだったが、空腹は最大の調味料。
赤ワインで乾杯し、ペロリと平らげる。

5日目 パンプローナへ

 
やっぱりひたすら山の中なのだ! 


 今日も快晴だ。目的地はパンプローナ。距離は20キロ。
アルベルゲでパンとコーヒーの朝食をとって9:00にズビリを出発する。
適度なアップダウンは交互にやってくるが、初日のピレネー山脈を思えば楽なものだ。
巡礼の道には、野生のイチジクの木がたくさんあり、ちょうど、今が食べごろ。
指で押すと、押し返してこない柔らかいやつが、甘くてとても美味しい。
歩いていてお腹が空いたら、その小さなひょうたんのような実を失敬して栄養補給とする。
長時間、森の中を歩いていて、なかなか街に出られず、
空腹の時にはずいぶんとこのイチジクに助けられた。
実のたくさんなっている木の周りにはいつの間にやら、他の巡礼者たちも集まってきて、
みんなでワーワー言いながら、ストックなどで手の届かない高いところにあるイチジクを
つついたりして楽しい。
しばらく歩いたら、自転車にギターをくくりつけて旅しているドレッドヘアのジャマイカボーイに会ったので、
ボブ・マーリーをリクエストしたら、通りがかりのイギリス人がケルトフルートで乱入してきて
巡礼の道セッションが始まった。

     
ジャマイカとケルトのセッション   イチジク収穫の図 


 そんな平和な昼下がりを、のんびりパンプローナを目指して歩いていると今年も、またやってしまった・・・。
去年はキューバの旅で、タクシーの中にiPhoneを忘れ、そのまま紛失。
今年の大失態は、旅するのに重要なパスポートや現金を入れていたウエストポーチを
アルベルゲに忘れてきてしまったのだ!
本来であれば、肌身離さずくらいのものだが、あまりにリラックスできたアルベルゲだったので
朝、朝食をとった食堂の椅子に置いたまま、うかつにも出発してしまった。
しかも、それに気づいたのは歩きだしてすでに2時間以上たっていた・・・。
我ながら、毎度のことで呆れてしまう。
どこか道の途中で落としたり、忘れたわけではなく、置き忘れた場所が明らかだったので、
昨夜のアルベルゲに電話をかけてみた。
お世話になった若いアルベルゲのスタッフに赤いポーチを忘れたのだが、と尋ねると
やはり見つかった。ほっと一安心。
タクシーで戻って取りに行くと、言ったら今日ぼくの宿泊するアルベルゲに届けてくれるとのこと。
スペインの人は、とても親切だ。いつもスペインを旅すると感謝することでいっぱいだ。

 顔なじみの巡礼者も増えてきた。
休憩していたら、誰か彼か知った顔がやってくるので、1回の休憩時間が30分以上だったりと
天気がよいせいもあって、ますます巡礼の旅はのんびりとしたものになっていく。
16:00過ぎ、パンプローナのアルベルゲに到着すると、
忘れてきてしまったウエストポーチが届けられていたので胸をなでおろす。
最も、心配していたのがパスポート。
もし、これが盗まれていれば、再発行まで数日かかるだろうから、巡礼の旅を即時中止して
マドリードの日本大使館に飛んでいかなくてはならない。
中身を確認するまでは安心できなかったが、パスポートは無事で、助かった。最悪は免れた。
しかし・・・。
昨日のアルベルゲからこのアルベルゲに届けられるまで何人かの手を渡ってきたのだろう、
ポーチに入れておいた現金200ユーロほどが抜かれていた。
忘れてきたのは、自分の責任だ。仕方がない。
とにかく、盗まれたものがパスポートでなくてよかったと思う。
現地通貨はATMマシンで引き出すことが簡単だから。

パンプローナは大きな街だ。ヘミングウェイの小説が世界的に有名にしたのだろう。
夕食は、賑やかな通りをぶらぶら歩いて、地元の人が集まるバルへ。
タパスをあれこれ注文、そして赤ワイン。

     
目移りするタパス  ヘミングウェイと


6日目 プエンテ・ラ・レイナへ


 アルベルゲの食堂でパンとコーヒーの質素な朝食をすませ、8:00に出発。
空は薄曇りだ。今日の目的地はプエンテ・ラ・レイナ、距離は23キロ。
歩き始めて間もなく、パンプローナの街を出た下り坂の先に、
どこかで見覚えのある”短パンに金髪”が歩いている。
遠目にもそれと、わかる見事な体躯。
走って追いかけたら、やっぱりピレネー山脈後半を一緒に越えた韓国人のアンさんだった。
彼は2日間、見かけず、ピレネーもずいぶん、つらかっただろうから、他の巡礼仲間と
ー彼は大丈夫かな?
と、時々話題になっていた・・・。

 ピレネーの困難を共に克服したぼくら・・・。
2日ぶりのこの再会は、どうしたって熱い握手と抱擁になってしまう。
巡礼を続ける者同士、同じようなペースで歩き、同じような宿泊地に泊まっていれば、
いつの間にやら、後にに歩いてるだろうと思っていた人が思いがけず先をいっていたり、
またその逆もあったりして、つかず離れず。
アンさんはもともと、幼いころからの親友であるチョンさんとサン・ジャン・ピエド・ポルを出発した。
初日のピレネーで2人は、お互いを見失い、1人になってしまった時に、アンさんとぼくが出会ったことになる。
その後、ぼくと別々に歩き出したアンさんはチョンさんと再び合流でき、
サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して2人で歩いているところだった。
チョンさんもアンさん同様、足元がスニーカーといささか軽装の感もするが、おっとりとしたわかりやすい
英語をしゃべる、とても友だち思いの好青年。
2人とも、仕事で数年、オーストラリアに住んでいたそうだ。
チョンさんはアンさんから、ぼくが1人になってしまったアンさんの手をとってピレネーを
一緒に越えたことを聞いていたらしく、
恐縮してしまうぐらい、ぼくに感謝の言葉をかけてくれる。
これでアンさんもチョンさんもぼくの大親友となり、一緒に歩くことになった。
そこへ、レベッカも合流して賑やかな道中となってきた。

この日は半分登り、半分下りの行程でAlto de Perdon(赦しの峠)を通過する。
13世紀頃、僧院と巡礼者のための病院があったらしいが、
今は風と、巡礼者のシルエットと、ナバラ地方を一望するビューポイントがあるだけ。

 
 Alto de Perdon


プエンテ・ラ・レイナのパドレス・レパラドレスというアルベルゲに到着したのは17:00。
今回の旅中、宿泊したアルベルゲの中で最安の5ユーロだ。
荷物を置き、ベットを確保して、夕食をどうしょうかね?
なんて話しながら、チョンさんと散歩にでかける。
アルベルゲはかなり年季がはいっており、共同のキッチンがあるだけで、
付近にはレストランやスーパーがない。
プエンテ・ラ・レイナは小さな町で、かなりひなびた感を醸し出している。
外はもう暗くなってきた。
なるべく人通りの多そうな通りをチョンさんと15分くらい歩いていると、やっと小さなスーパーを発見した。
ビールやワインの他に野菜、果物、冷凍の食材などがあったので、アルベルゲのキッチンで
料理しよう!ということになった。
チョンさんはクリームパスタ、ぼくはシーフードと野菜の炒め物を作ることにした。
みんなとシェアできるよう、多めの食材、ビール、ワインなどを買い込んだ。
よくワインを飲んだが、ここはブドウ畑の広がるスペイン北部。
2~3ユーロのワインでも十分、美味しい。

 ここも、名前を聞いていたり、聞いていなかったりだが、
道の途中で知り合った、よく見かけるなじみの顔ばかり。
レベッカ、アンさん、チョンさん、50代デンマーク人のロバートさん、20代日本女性1人旅のSさんとMさん、
韓国の30代男性2人組、韓国20代の1人旅の男の子と女の子、陽気な30~40代スペイン人の男性4人組、
自転車で1人旅する30代フランス人のヤンさん・・・etc。
キッチンにはいちおう、コンロ、包丁、まな板、食器など揃っているが、
調味料類は巡礼者が持ち込んだものを使い切らずに置いていったものだろう。
統一感のない調味料のラインナップの中から、迷い、決断し、味付けをする。
みんなで、ワイワイ、キッチンで体ぶつけながら、料理して、テーブルを囲む。
それだけで、美味しくないわけがない、楽しくないわけがない。

 どこのアルベルゲにもたいてい1本くらいギターがあるものだ。
弦が1本切れていたり、チューニングペグが折れてなかったり、
クラシックギターだったり、フォークギターだったりと様々だが・・。
食事がすむと、そのうち誰かが弾き語りをはじめたりする。
こういう時、ぼくは
自分はギターが弾けてよかった
と、痛感する。
オンボロギターがポツンと古宿の壁に立てかけられているという情景はなんとなく、わかる(よく見かける)が、
ピアノやヴァイオリンが同じような状況であるというのは少ない。
これはギタリストならではの特権だと思う。
ギターは他の楽器に比べて、どこにでもある可能性が高いのだ(コンディションの問題は別として)。
ぼくのように語学に適正のない人間にとって、他国を旅する際、
ギターが弾けたり、ちょっと得意だったりすることは、とても強力なコミュニケーションツールになる。
 当然、ぼくにもギターを弾く番が回ってくる。
大勢で楽しく飲んでいる時に、シリアスなクラシック音楽はあまり合わない。
ここは、スペインなのでフラメンコやエリック・クラプトンの曲などを即興的に弾くことにした。
演奏が終われば、音楽好きや、ギター弾きとはすぐに友だちになれるし、
ーまあまあ1杯どうぞ、
なんて見知らぬ人からワインをおごられたりする。
音楽には言語より、一瞬で人の心と心を通わせる不思議なパワーがある。
ギターをやっててよかった・・・と、つくづく実感します。
シリアスな曲もいつでも弾けるようにしていますが、
アルコールをちょっと摂取していても、その場の雰囲気にフィットし、
ラフ、かつ即興的に弾ける数曲も常にストックすべきです。

 
 


 7日目 エステージャへ

 今日の目的地はエステージャ。それほど高低差はないが、アップダウンが続く23キロ。
朝食をとらず、8:30。プエンテ・ラ・レイナを出発する。
しばらく歩いて、バルを見つけて”ボカディージョで腹ごしらえ”と、
その扉を開けば、また馴染みの顔に会う。
ぼくのようなヨーロッパから遠い国の日本人からみて不思議に思えたことがひとつ。
地図で見れば、スペインとイギリスはご近所で、
格安飛行機もバス料金なみで両国を行き来できる時代だ。
日本人からしてみれば、日本人が英語やスペイン語を学ぶより、
イギリス人がスペイン語を学ぶ、またはスペイン人が英語を学ぶ方がずっと楽に違いない。
名詞、形容詞、動詞にも多くの親和性がみてとれる。
しかし、意外なことに、まったくスペイン語を話せないイギリス人や、
その逆にまったく英語の話せないスペイン人を、けっこう見かけるのだ。
 そんな場に英語とスペイン語をほんのちょっとかじっているぼくがいると、愉快なこともある。
それは、英語もスペイン語も小学生並み、語学適正をも乏しいこんな日本人のぼくが
彼らの中にはいって通訳したりするのだ。
実にあやしい通訳ではあるがそんな時、片手にワインでもあれば、
ぼくの語学力は数パーセント、アップする(ような気がする)。

 なぜ、旅をするかといえば、やはりルーティーンの生活から一時、離れ、
非日常にわが身を置くことにある。
特にそれが海外であった場合、今まで自分が正しいと思っていた正義感や価値観が、
決して唯一のものでなく、時代や国よって変化することを、再認識できるいい機会にもなる。
本を読んで”わかった”という知識とは、似て非なるもの。
また、今回のように、いろんな国の人々が雑多にいる旅では、
普段、努めてやっている心の鏡を磨くという作業が、自然にできてくるような気がする。
同じ日本人同士で、同時代に生き、同世代でありながら、うまく日本語が機能しない
(心の疎通ができない)と感じることが少なからずある。
もちろん、どちらが正しいとか、間違っているとか、ということではなく・・・。
しかし、旅では、言葉もまともに通じず、年齢や育ってきた環境も全く異なる外国人と
心が通じ合う奇跡も実際、たくさんおこるのだ。
それは、自分を犠牲にしても、他者を思いやる優しさに触れた瞬間。
心の鏡の曇りは、人の優しさによってやがて消えていき、素直に目の前にあるものを映すようになる。
そう、旅に出ると人は素直になるのだ!
恰好をつける必要もないし、自分の境遇がどうあれ、
ややもすると忘れてしまいがちな”素直に感謝する”という感情が蘇る。
巡礼の旅は、実に多くの人に助けられる。

エステージャに16:00到着。
アソ・アンファスというアルベルゲに泊まることにした。7ユーロ。
すべてのアルベルゲが1年中、営業しているわけでなく冬季休業するアルベルゲもけっこうある。
その休業期間もまちまちだが、10月いっぱいで閉めるところも少なくない。
ぼくの旅行は10月末から月をまたいだものだったので、11月に入ってから、
泊まれるアルベルゲが限定されてきて、しかも小さな街だったら、ほとんど選択肢がない。
なので、アルベルゲに着いたら、顔馴染みばかりになってほとんど家族のようになっていた。
みんな、料理やワインをシェアしたり、体の不調などがあれば、気づかいあったりする。

 
夕食はいつも賑やか 


 食堂の横には中庭があり、食事をすませた連中はそこで、おしゃべりしたり、タバコの煙をくゆらせたり、
ワイングラスを傾けていた。
このアルベルゲにもギターがあった。
フランス人のフラメンコを勉強している若いギタリストがいたので、
中庭で音楽談義と一緒にギターを弾いたりして、夜が更けていった。


 8日目 アルコスへ


 前半にやや登りの連続する日だ。
今まで何度もスペインをレンタカーや列車で旅してきたが、歩いて旅するのは初めて。
やはり、乗り物を利用する旅と、自分の足だけをたよりにする旅は景色の見え方がまるで違う。
ここスペインのナバラ地方のなだらかな丘陵は、果てしない葡萄畑とオリーブ畑の連続だ。
しばらく、道の両脇に腰ほどの高さの葡萄の木が続くと、
今度は緑の実をたくさんつけた広大なオリーブ畑があらわれる。
葡萄農家の人には、ちょっと悪いが、歩きながら葡萄をつまむと、
正直、人生の中で食べた葡萄の中で1番とも思えるほど奥行のあるおいしさだ。
今日の楽しみの1つはイラーチェのワイナリー。
ここには、なんと蛇口をひねれば、飲み放題のワインがある。
しかも、無料!

     
葡萄畑     赤ワイン注入中 


 ぼくは、平地ではだいたい時速5キロで歩く。
多少、アップダウンがあるにせよ、この旅に出てからというもの
出発時間と到着時間の計算がかなり、合わないことに気づく。
今日も8:00に出発して目的地のアルベルゲに到着したのが17:00。
移動距離が21キロだから4時間ちょっとで、着くはずなのだが・・・。
仲間が増えてくると自然と、休憩回数が多くなったり、1回の休憩時間が長くなってしまうようだ。
ぼくは、昼間の歩いている間に、アルコールを摂取してしまうと、おそらく
歩くのが億劫になってしまうだろうから、控えていたが、
他の巡礼者はあまり、そこは気にせず、休憩になればビールやワインやブランデーなどを飲んでいる。
無料ワイナリーでも、そこでは飲まず用意していった空のペットボトルに赤ワインを注入するに
とどめた。
そして、この日も、ぼくら多国籍巡礼者たちはワイワイと、そしてのんびりと旅をしていた。
ワイナリーに立ち寄り、再び歩き出して、ふと、後ろのチョンさんを見るとなんだか、目がトロンとして気持ちよさそう。
どうやら、ペットボトルに入れた赤ワインを歩きながらチビチビやっているようだ。
歩きながら、ワインを飲めば、そりゃあ、酔いもまわりやすいでしょう。
実に幸せそうだが、案の定、チョンさんは次の休憩地点で爆睡。
こんな調子だから、移動時間の計算が合わないわけだ・・・。
この日はアルコスのカサ・デ・ラ・アブエラというアルベルゲに宿泊。10ユーロ。
夕食はまた、料理して、いつものメンバーと。

 
 ワインを飲みながら歩くとこうなるという図


 9日目 ログローニョへ


 今日の目的地はログローニョ。雨の中、8:30に出発。29キロを歩く。
巡礼の旅出発前にいろいろ、リサーチして道具を買い揃えてきた。
大型のバックパック、寝袋、防寒対策、靴擦れ対策、トレッキングシューズ・・・etc。
もちろん、雨も想定してカッパも準備していったが、
けっこう厚手のしっかりしたものを持っていったので、意外にそれが重たく、
荷物になってしまった。
ちょっと高くつくが、薄手の高機能防水ジャケットなんかを基本にコーディネイトすれば
雨の時、着替える必要もなく、荷物を減らせ、もう少し身軽になれるだろう。

 早いもので、旅も終盤。
日本から出発地であるサンジャン・ピエド・ポルまでの移動時間に2日を要しているので、
今日は実際に自分の足で巡礼を始めてから7日目にあたる。
この日はちょうど、ぼくの48回目の誕生日。
旅をしながら友人となっていった人とは、facebookでも友人となることが
近年の風潮だ。
ここまでSNSが発達していなかった数年前までであれば、
旅先で友情が芽生えても、よほどのことがない限り、その関係性はその瞬間のみで
完結してしまうことの方が圧倒的に多かっただろうと、思う。
ぼくは、全長800キロの巡礼の道の1/4を歩いて、残りはまたの機会にすることにしたが、
今回、旅で友人となった人たちの多くは、ゴールであるサンティアゴ・デ・コンポステーラまで
歩ききったことを、その後の彼らのfacebookの投稿から知ることができた。
日々、更新される彼らの苦しい道のりに思いを馳せて、
ぼくは遠い日本から旅の安全を祈ることしかできなかったが、逆に、たくさんの勇気をもらった。
 旅がきっかけで、できたfacebook上での友人数人には
ぼくのプロフィールも知られることとなり、もちろんその中には誕生日情報もあった。
海外を旅して、友人ができると、人の名前を覚える必要もあるし、
自分の名前も覚えてもらわなくてはならない。
ぼくは、ヒロシを短くして、”ヒロ”と短くして少しでも、覚えやすいようにしている。
ログローニョには17:00到着。サンティアゴ・アポストルというアルベルゲに宿泊。10ユーロ。
今夜も、つかず離れず、一緒に歩いている仲間の旅人が勢ぞろいといったアルベルゲ。
冷たい雨にうたれた後、シャワーを浴び、やはり大きな共同部屋の
ギシギシと軋むパイプ製の2段ベットの上で人心地ついていたら、
レベッカがやってきて
ーヒロはまだ食堂に来ないでね、
といった。

 荷物の整理や、日記を書いて1時間ほど過ごして食堂に行ってみると、
みんながぼくの誕生日のために料理をつくってくれていた。
ロバートさんとレベッカがウサギの肉のパエリア、チョンさんがパスタ、アンさんがサムゲタン、
巨大なケーキまで用意してくれた。
数日前に出会って、何かの縁で同じ道を共に歩いてきただけなのに、
限られた材料・調理器具で、ここまで心づくしのパーティーを開いてくれるとは・・・。
みんな、グラスにワインを注いで、乾杯。
1日でも出発がずれていたり、己の足で歩く旅でなくては、
こんなコミュニティには巡り合えていなかっただろう。
いくつもの奇跡が重なって、生まれたこの空間には本当に
優しさにあふれ、魅力的な人たちばかりが集まった。

ーカミ―ノに、そして素晴らしい旅人たちに、ありがとう!

         
 ウサギのパエリア    チョンさんパスタ    バースデーケーキ


 どれも、心のこもった美味しい料理で、10人以上でテーブルをかこんだが、
とにかく凄まじいヴォリュームだったので、残念ながら完食はできず、
食べきれなかった分は翌朝に、温めなおしていただいた。
毎日20~30キロを歩く過酷な旅だから、痩せそうだが、みんなで楽しく食事をとっていると
ついつい食べ過ぎてしまう。
とくに、この日はぼくのために豪勢なものを、つくってくれたので、
ぼくはもう無理して、”残しちゃいけない”
という勢いで食べまくった。
ふだん、食後にケーキなんか食べないが、いささか引きつった笑顔で
これも赤ワインで流し込むよう胃袋に、おさめた。
巡礼の旅に出て、太ったんじゃなかろうか・・・。


10日目 ナバレーテへ


 今日も雨。
13日目にマドリードから東京への飛行機に乗らなくてはならないので、そろそろ
マドリードへのアプローチ方法を考えなくてはならない。
ここから数日歩いても、地図で見たところ、直接、マドリードへ行ける列車やバスが出ている
ような大きな街はないようだ。
いつも、朝食後は、今日は夫々、どこを目的地にするかが話題になる。
歩くペースは、人に合わせるものではなく、
天候や身体のコンディションを考慮して自分自身で配分していくもの。
この日の行程は宿泊できるアルベルゲとアルベルゲの間の距離が比較的、長い。
雨は本格的に降っているので、無理をしないで13キロ先のナバレーテを目的地にする人、
もうちょっと、がんばって30キロ先のナヘラを目指す人と、まちまちだ。
ぼくは、遅くとも、明後日にはマドリードに到着する必要があり、
地図をどう凝視しても、この辺りではマドリード行のバスが出ている大きな街は
ここログローニョしかない。
最初は不安もあったアルベルゲでの宿泊も、もう2回しかできないと思うと名残惜しい。
結局、ログローニョからサンティアゴ・デ・コンポステラーラ方面に歩き出しても
すぐに引き返してこなくてはならないが、もうすこし巡礼を続けてみようと決めた。
今日のぼくの目的地は13キロ先のナバレーテにすることにした。
ゆっくり出発しても昼前には、ナバレーテに着いてしまった。
レベッカ、ロバートさんはここナバレーテに宿泊することにし、
アンさん、チョンさん、日本女性Sさん、他の韓国の仲良くなった人たちは、まだ先を歩くそうだ。
しばし、ナバレーテのバルで温かいものを飲みながらみんなで最後の雨宿り・・・。
アンさん、チョンさんとはとくに一緒に歩くことが多かったので、年はずいぶん下だが
すでに親友になってしまったので、別れはつらい。
チョンさんは下半身の雨対策をしていなかったので、ぼくの雨カッパのズボンをプレゼントした。
ずいぶん遠慮していたが、ぼくはもう巡礼を終えるので必要がないからといって、
受け取ってもらった。

 ブエンカミーノというアルベルゲに宿泊。9ユーロ。
ベット数10のこじんまりとした、きれいなアルベルゲ。
明日、ログローニョに引き返し、明後日、バスでマドリードに行く予定にしたので、
ここまで一緒に歩いてきた巡礼仲間の顔も今日で見納めだ。
別のアルベルゲに泊まっていたレベッカとロバートさんがぼくのアルベルゲを
訪ねてくれ、しんみりと大人の雰囲気で最後の晩餐。
ここは、ナバラ地方、葡萄の大産地。
スーパーで3ユーロくらいのワインでも、びっくりするくらいうまい!
安くてうまいワインを見つける才能があるかも・・?
ここのキッチンはガスコンロもIHコンロもなく、電子レンジしかない。
この設備で調理できそうなものと、ワインをスーパーで調達してきた。
ぼくはムール貝のワイン蒸とサラダを、ロバートさんもチーズと野菜の
おつまみをつくった。
レベッカは体中、入れ墨も多いがイギリスのナチュラリストで、
植物の名前や食べられるか・食べられないにも、詳しい。
一緒に森の中を歩きながら、ぼくも彼女を見習い、食べれるものは木の実から、
野草まで何でも口に入れ、まさに実証性のある勉強がたくさんできた。
ロバートさんは、この巡礼の旅をもう何度もやっているという50代のデンマーク人。
落ち着いたインテリといった感じだが、話してみれば、気さくで優しい。
ぼくのことも何だか、気に入ってくれて自分が巡礼の時に身に、つけてきた
貝のネックレスをプレゼントしてくれた。
これまでの夕食は、大勢でワイワイガヤガヤ賑やかなものだったが、
この日は国籍は違えども、年齢の近い3人。
まったり静かな時間が流れ、
ゆっくりと赤ワインのボトルが空いてゆく。
話題は自然と多岐にそして深いものになる。
戦争、歴史、政治、宗教・・・etc。
ぼくは、ワインの力をかりて英語力の引き上げを試みるが、
機微にふれる単語の選択も必要となるので、
思うように話せずにはいるが、2人は暖かい眼差しで、耳をかたむけていてくれる。
素敵な夜だった。


11日目 再びログローニョへ

 今日から帰路の行程となる。天気は回復した!
マドリード行きのバスに乗るため、巡礼の道を逆方向に歩き、昨日の出発地ログローニョを目指す。
列車や車のない時代の巡礼は、歩いて往復するのが当たり前だった。
現代、復路も歩く人が稀にいるらしいと聞くが、ぼくと同じ方向に歩く人は
1人も見かけなかった。

地元の農作業をやっているおじさんなんかが、
ー方向が逆だ
と、親切に声をかけてくれるが、
ーいいの、いいの、ログローニョに行くから
手を振って答える。

ログローニョまでの13キロ。道の両側には遠くまで葡萄畑が続いている。
今が巡礼の道を歩いている最後の時間と思ったら、歩き足りないように思えてきた。

     
ナバラの葡萄畑 

 ログローニョに昼過ぎ、到着し、バルで昼食をとる。
ぺリグリノス・アルバスというきれいなアルベルゲにチェックイン。12ユーロ。
ベットルームにはカナダのケベック出身の若い女の子がひとりだけ。
これから冬に向かっていくから、巡礼者も徐々に減っていくのだろう。
アルベルゲはログローニョの中心地にあったので、夕刻ともなれば
生ハムやチーズやドライフルーツなどのいろんな露店が軒をつらね、
大道芸人が通りを練り歩く、賑やかな音が聞こえてくる。
ひと休みしてから、歩いて10分くらいの場所にあるバスステーションに行って、
明日のバスのチケットを買っておき、夜はバルのはしご。
今夜もワインが美味しかった。

         
ログローニョの夕暮れ         



 12日目 再びマドリードへ


 マドリード行きのバスは10:00に出発。
南に走ること4時間半のショートトリップ。
ボカディージョと、ビールを買って、バスに乗り込む。

     
ログローニョのバスステーションから    スペインのビールといえばこれ。 


 ここはピレネー山脈によって、隔てられたヨーロッパの西の果て、イベリア半島。
半島の南端ではジブラルタル海峡を挟んでわずか14キロ先にアフリカ大陸が見える。
ウェゲナーの大陸移動説によれば、かつて地球には1つの超大陸が存在し、
それが分裂し、現在の位置・形状になったと考えられている。
だから、ヨーロッパ西海岸と北アメリカの東海岸は、繋がっていたのだろし、
アフリカ大陸とも、くっついていたのだろう。
バスが出発し、ログローニョの街中を抜けると山間部に入っていく。
道の両側には、切り立った奇妙な岩々が連なり、車窓を見飽きることはない。
同時代に生成されたのかもしれないその神々しいともいえる地層群は、
アメリカのグランドキャニオンを思わせるが、
その山の1つ1つのあまりに個性的な姿においては、スペインに軍配が上がるだろう。
ブルガリア、ルーマニア、ギリシャなどの東ヨーロッパ。
スイス、フランス、ドイツ、イタリアなどの中央ヨーロッパ。
これらの国々を、これまでレンタカーで走ってき、
どの国ももちろん美しかったが、目に飛び込んでくる景観に驚く回数では
スペインは群を抜いている。

 
 基本的にぼくは事前に、宿の予約を入れて旅することは、ほとんどないが
今日だけは、空港からあまり離れていない場所に宿泊しておきたかったので、
前日にインターネットでホテルに予約を入れておいた。
14:30にマドリードのバスステーションに到着し、地下鉄に乗り換え、
プエルタ・デ・トレドという駅で降り、ホテルへ。
今日がスペイン滞在最後。
明日はマドリードのバラハス空港から飛行機に乗り、日本にむかう。
アッという間の2週間だったが、実に多くの出会い、発見、感動の詰まった2週間でもあった。
今夜もバルに足が向いてしまい、最後の赤ワインの深紅を見つめていると、
つらかった山道、果てしなく続く葡萄畑と青空、素敵な巡礼者たちの顔が、
浮かんでは消えていく。


まとめ

 初めてスペインを訪れてから、ずいぶんと時間がたった。
音楽、芸術、自然、食べ物、ワイン、人・・・
すべてが興味深く、気がつけば、もう10回くらいは旅しているだろう。
スペイン巡礼の道は、もちろん昔から知っていたし、
歩いてみたいとずっと考えていたが、なかなか実行に移せずにいた。
その間、このヨーロッパ最果ての国を、半ば計画的に、半ば行き当たりばったりに
レンタカーで、かなりの距離を走ってきた。
今までの旅が、鳥のように自由に、快速に、スペインの全体像をつかむような旅とするならば、
今回はまったくその逆になる。
大きな地図の小さな場所を、虫眼鏡で覗いて
そのわずかな範囲を1日1日、ゆっくりカタツムリのように自分の足のみで移動する旅。
このスペイン巡礼の道を人生の節目、節目で何度も歩いたり、スペインだけでは物足りなく、
この道を終えた後、しばらくして日本に飛び、四国のお遍路までやってしまう巡礼者も少なくない。

 歩く速度で移動する・景色を見るということを、現代人はそれほど重要視していない。
できるだけ短時間で移動し、短時間で多くの案件を処理し、
問題の答えも早く出した方がよいという風潮もわからないではない。
そのような効率主義の弊害は日本にもたくさんあるだろう。
最も端的なものは、原子力発電所がこの狭い国土に40基以上あること。
これは、アメリカ、フランスについで世界第3位。
目先の利益・効率を優先し、自分で返済できないと知りながら
繰り返した借金の結果のように思えてならない。
歩いて旅をしていると、当たり前だが、人間は本来歩いて移動し、
季節の野菜や果物を食べ、太陽が沈めば眠りについていたことを、再認識する。
現代は、短時間で移動したがり、本来の季節にない食べ物を欲しがり、
夜は眠らず24時間コンビニが開いているいることを望む世界だ。
 たよりになるものが、もし自分の足しかなければ、無理な計画を立てなくなるだろうし、
また、他者の助けなしに、人間は一人では生きていけないことを思い知らされる。
歩く速度で、景色を見て、そして考えることは、
便利であることに麻痺し、時間に追われる現代人にこそ、大切なことかもしれない。
”歩く”という行為には、間違いなく何らかの様々な気づきと、効用がある。
忘れていた感覚を取り戻す、必要なものとそうでないものの選択、
思いやり、癒し、回復・・・。

 巡礼の旅と聞いたら、まず、まとまった時間(1ヶ月以上)が必要と考えてしまう。
仕事をもっている日本の社会人で、これだけの時間を捻出するのは、ほぼ無理でしょう。
学生か、仕事をやめて次の仕事を始めるまでの猶予期間、またはリタイア世代などでなければ、
いくら巡礼に興味があっても、それは遠い、いつかの夢・・・。
しかし、1度にすべてを、歩き切るのではなく、
”何回かに分割する巡礼でもいいじゃないか!”と開き直れたら、夢はぐっと近づく。
だから、今回のようなぼくの巡礼の旅は、比較的、誰でもトライしやすいものだと思う。
ぼくの旅行日数はすべてで14日間。
人生の中では、しばしば大きな出費をしなくてはならない時も、ありますが
それはその額に見合う、またはそれ以上の価値があると判断したからでしょう。
旅のためにスケジュールをやりくりして、用意する日数も同じようなもの。
確保した日数以上の、そしてお金にも代えられない貴重な体験を得るためには、必要なのです。
航空運賃は流動的なものですが、この秋のスペインへの往復チケットは5万円ちょっと。
巡礼の道には1泊1,000円くらいの安全なアルベルゲも、たくさんある。
全然、実現不可能なものではないのです!巡礼の旅は。
旅に出たいといいながら、旅に出ないでいるのは、
もしかして、行けない理由ばかり探して、それらを自分の頭の中で
ジャグリングしているだけなのかもしれない。
旅に出たいなら(新しい何かに挑戦したいなら)、その一歩を踏み出すべきです。
自分の背中を押すのは、自分しかいない。